どーも、ロッカリアです。
長年温められてきた、ギレルモ・デル・トロ監督の『フランケンシュタイン』(2025)が、ついに現実のものとなります。
ちなみに、ボクにとって、『フランケンシュタイン』と言えば、1931年、ボリス・カーロフ主演のユニバーサル映画につきます。
そう、あの見た目、ゴシック様式の世界に展開される、人造人間の恐怖と悲しみ。
これまでも、色んな『フランケンシュタイン』の映画を見て来ました。
しかし、そこにはある要因が抜けているように感じました。
それは、怪物として作られた、人造人間の心、の描き方でした。
劇場公開が10月24日(金)に公開され、デル・トロ版『フランケンシュタイン』ですが、早くも11月7日よりNetflixで独占配信される事になりました。
ボクとしては、劇場に足を運びたいと思っていました。
何故なら、おそらくパンフレットも売っているだろうし、でっかいスクリーン、大音響で楽しみたいからです。
しかし現実的には、諸事情により、行けない人の方が、ボクを含めて多いでしょう。
そんな人は、あと数日待てば、Netflixで見る事が出来ます。
今回は、なぜ『フランケンシュタイン』という題材が、今も特別なのか、その価値をあらためて掘り下げてみましょう。
初めて見た時(中学生の頃)の衝撃は、ドラキュラ映画を見た時とは少し違いました。
怪物なのに、人間の心を持っている?
そこに衝撃を受けたのです。

🧬 “フランケンシュタイン”という存在が特別な理由
ホラー映画における“モンスター”という概念は、1931年のユニバーサル映画『フランケンシュタイン』(ジェームズ・ホエール監督)によって確立されました。
原作はメアリー・シェリーが1818年に発表した『フランケンシュタイン、または現代のプロメテウス』
科学の力で命を生み出すという禁断のテーマは、200年以上たった今も人間社会の根源的な問いを突いています。
映画では、ボリス・カーロフ演じる“怪物”が、ただの恐怖の象徴ではなく、**「人間に作られ、拒絶された存在」**として描かれました。
その孤独と悲しみが、観る者の心を打ち、後世のクリエイターたちを惹きつけ続けています。
⚡ デル・トロが描こうとする“新たなフランケンシュタイン”
ギレルモ・デル・トロ監督は、かねてよりこの題材を「ライフワーク」と語ってきました。
彼の作品には、いつも“異形の存在”が登場します。
『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017・米)では、人間社会から疎外された“人魚”を通して、愛と理解を描きました。(この作品、ボクはある意味、大人のお伽話だと思っています)
デル・トロ版『フランケンシュタイン』でも、“怪物”を単なる恐怖の対象ではなく、**「生まれてしまった悲劇」**として描くはずです。
何故なら、彼のテーマは一貫しているからです。
全ての異形のモンスター、つまり“怪物”の中にこそ、もっとも純粋な人間性が宿っている、と言うスタンスで作品を作り上げているからです。
AI、遺伝子操作、人工生命――。
人類が科学の力で“命”を作ろうとしている現代こそ、メアリー・シェリーの問いが蘇る時代です。
「人はどこまで神に近づいてよいのか?」
この普遍的なテーマを再び問うために、『フランケンシュタイン』は再びスクリーンに帰ってくるのです。
デル・トロ監督は、この物語を“恐怖”ではなく“哀しみと美しさ”で包み込み、
ユニバーサルが1930年代に生んだ怪物像を、現代的な詩として再構築しようとしています。
🎞 まとめ
『フランケンシュタイン』は、単なるホラーでも、怪物映画でもありません。
それは「創造」「孤独」「愛されること」をめぐる人間ドラマです。
ギレルモ・デル・トロという、怪物を誰よりも深く理解する映画作家によって、
再び命を吹き込まれる“悲しみのモンスター”。
90年以上前に生まれたこの物語は、今また新しい息吹を得て、私たちの前に立ち上がろうとしています。
さあ、この秋注目の作品、これで見る用意は出来ましたか?
ボクも配信と同時に見ますから、コメントがあったら、よろしくお願いします。
予告編(Netflix公式ページ)が見られます。



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